2007年11月11日
武相荘 (旧白州邸)
戦後、吉田茂の知遇を得て日本国憲法の成立に
深くかかわり、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と
言わしめた男 白州次郎。
彼が晩年、愛妻正子と暮らした家「武相荘」にキャノンデールで行ってみた。
場所は町田市能ヶ谷町、武蔵と相模の境に位置するので
無愛想をかけて次郎がつけたらしい。
当時このあたり(鶴川村)ではごく普通の農家。これを買って、手を加え晩年
まで住んだ。 土間はリビングに直され驚くべきことになんと床暖房!
長屋門の外には休憩できる囲炉裏と縁台がおいてあり、彼が晩年乗っていたポルシェとのスナップが展示されていた。
自宅から自転車で30分、武相荘入口にて
「葬式無用、 戒名不用」
これが亡くなるまで自分の「プリンシプル」(原則)を貫いた彼の遺言だった。
深くかかわり、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と
言わしめた男 白州次郎。
彼が晩年、愛妻正子と暮らした家「武相荘」にキャノンデールで行ってみた。
場所は町田市能ヶ谷町、武蔵と相模の境に位置するので
無愛想をかけて次郎がつけたらしい。
当時このあたり(鶴川村)ではごく普通の農家。これを買って、手を加え晩年
まで住んだ。 土間はリビングに直され驚くべきことになんと床暖房!
次郎と正子が暮らした様子を再現している母屋
長屋門の外には休憩できる囲炉裏と縁台がおいてあり、彼が晩年乗っていたポルシェとのスナップが展示されていた。
自宅から自転車で30分、武相荘入口にて
「葬式無用、 戒名不用」
これが亡くなるまで自分の「プリンシプル」(原則)を貫いた彼の遺言だった。
Posted by toni 7
at 19:22
│Comments(2)
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彼の伝記的文庫本と京都での旅行のような本を読んでいる最中です。
今でもなごりは感じられますが当時は農業に適した地区だったのかお百姓をしていたみたいですね 白州次郎は
潔い生き方にあこがれます。